「 いてつく冬の嵐に晒される中国の“知”の世界 」
『週刊ダイヤモンド』 2014年6月28日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1040
中国で言論弾圧が激化していることは広く報じられてきた。それでも驚いたのは、学問、研究分野の取り締まりがさらに厳しくなり、まともな研究が到底、望めなくなっていることだ。中国の知の世界はいてつく冬の嵐に晒されている。
中国共産党中央規律検査委員会が6月16日までに、中国社会科学院は「海外勢力の侵食」を受けていると批判し、「いかなる研究者も特例を許さない、党指導部の思想に従うよう要求した」と、北京発共同通信が伝えた。
中国社会科学院は中国政府のシンクタンクである。海外事情、歴史、経済など幅広い分野での研究、分析を通じて中国の戦略構築に貢献する中国最高の学術機関である。国家の知恵袋としてのシンクタンクの基本は、都合の良い希望的観測や一方的な偏りに陥らないことだ。どんな状況にも冷静に対処して分析しなければ、正しい解決法が導き出せるはずがない。
にも拘わらず、習近平主席はいま、中国最高のシンクタンクに「党指導部の思想に従え」と要求し始めた。学者への締め付けの厳しさは、東洋学園大学の朱建栄氏が数カ月間も拘束されたことからも推測可能だ。氏ほど、中国共産党の言い分を一方的に喧伝するのではもはや学者の資格はないというのが、常々私が抱いていた朱氏の印象だった。その氏でさえ、拘束された。まともな研究者にとっては、どれほど息苦しいことかと思う。
中国人学者に対する思想的取り締まりの厳しさを見せつけられた事例として、私には忘れられない実体験がある。月刊『文藝春秋』誌上で、中国社会科学院近代史研究所所長の歩平氏、清華大学教授の劉江永氏、中国人民大学国際関係学院副院長の金燦栄氏らと討論したことだ。いずれもそうそうたる日本研究者だ。中国を代表する形で日中国際会議に出席したり、日本のメディアに登場する。彼らと討論した日本側の論者は田久保忠衛氏と私だった。
彼らを相手に北京と東京で、二十数時間にわたって討論したが、中国側の3人は、発言のたびに手元の資料を見るのである。無論、田久保氏も私も、自分なりの資料は手元に持っていた。だが中国人の資料は私たちのそれとは全く異なるものだった。厚さ10センチメートルほどの分厚いファイルを手元に置いて、討論の議題ごとにファイルをめくってその中に書かれている「正しい回答」を読み上げるのだ。
ファイルには中国共産党の定める答えが書き込まれているに違いない。興味のある方は『日中韓歴史大論争』(文春新書)を参照してくださればと思うが、ファイル頼みの彼らの主張には随分変なところがある。
例えば、朝鮮戦争は北朝鮮の南侵で始まったにもかかわらず、中国は米国が最初に攻めてきたと、いまでも学生に教えている。これは明らかな間違いだと指摘すると、ファイルにこんな指摘への答えは書いていなかったようで、「この件についての歴史の真実はいまだ研究中だ」と彼らは答えた。私はつい、笑ってしまった。
日中戦争における中国人犠牲者を中国側は戦後直後に320万人といい、それがいま、3,500万人に増えている。根拠を問うと、またもや返答に困って、彼らは、犠牲者数は「国民感情を考慮したものだ」と発言した。私はこの件(くだり)であきれてしまった。
いずれも学者としては恥ずかしくて口には出来ない回答だ。しかしこれは彼らの責任ではなく、歴史研究が中国共産党の思想的規制の下に置かれてしまったことの結果である。
習体制によって中国共産党の指導が強化され、歴史問題などはもっと捏造され、対日情報戦はもっと本格化するだろう。日本にとって、ばかばかしくも極めて厳しい時代がやって来る。いまこそこちらが本気で事実を基にした情報戦を展開すべきときだ。